2021/02/05 10:04
マンガの原作の仕事をしているというと、
「それは具体的にどんなことするんですか?」
と、時々聞かれる。
たしかに「原作」というのはわかりにくいかもしれない。
ボクは、40年前に、和泉晴紀さんと組んで、二人で一人のペンネーム「泉昌之」でマンガ家としてデビューした。
その時ボクがしたのは、B4の紙を4枚重ねて二つ折りし、16pの小冊子を作り、シャープペンシルで定規も使わずコマを割って、ラフなマンガを作ったのだ。
もちろん主人公がどんな顔で何を着てて、どんな表情をしてるかはわかるように描く。
吹き出しをつけてセリフも「ドドーン」なんていう書き文字も全部書いた。
ある日、思いついてから2時間ぐらいで描いた。
それを和泉さんに見てもらったんだ。
そしたら最初から最後まで黙って全部読んで、
「面白い!これを俺がちゃんとペンで描いたら、傑作だよ!」
と言って、別の仕事をしながらだから2ヶ月ぐらいかけてマンガにしてくれた。
デビュー作になる「夜行」だ。
以来、和泉さんとのマンガの原作は全てそうやって描いている。
変わったのは、今はA4のコピー用紙に描いて、FAXで和泉さんに送っていることだけだ。
弟とのマンガも同じように作っている。
ただ弟は、兄弟で大人になるまで実家で一緒に住んでいたこともあり、背景に何も描かなくても、欲しいものをちゃんと描いてくれる。
床のティッシュケースとか、台所の玉暖簾とか、押入れのふすまの模様とか。
それらが、まさにボクが描いて欲しいもので、いつもできたマンガに笑ってしまう。
でも、谷口ジローさんとの「孤独のグルメ」は違った。
谷口さんは独特のコマ割りや構図で絵を描くので、原作は、文章で送る。小説というより、映画のシナリオ風に、
「五郎、ドアのところで振り返って、店長の顔を見る」
などと説明が入る。
それにボクが撮ったたくさんの写真を付けて渡した。
店内や料理や街の風景、人々、空、なんでも。それこそ100枚から200枚ぐらい。
最初はデジカメじゃないから、店内は撮りにくかった。店主にことわって撮らせてもらったりした。
「マンガの勉強をしているのですが」とウソを言って撮らせてもらったこともある。
「花のズボラ飯」も文章だったけど、最初の頃は「こんな風に」というコマの絵もたくさん描いた。料理は、作画の水沢さんにも絶対に作ってもらった。
水沢さんは、お母さんと住んでいたので、その料理の作り方で結構ケンカしたようでそれも面白かった。そういうのは必ずマンガに反映される。
土山さんしげるさんの原作も文章だった。
でも、土山さんは職業漫画家のプロ中のプロだから、ほんの短い原作だけでも、誰が読んでもクスリとする一本のエンターテイメントに仕上げてくれた。
「荒野のグルメ」など、一緒に店に取材に行って食べて飲んで、
「こんなことしたりして」とかバカ話を2時間くらいしていただけで、
翌週には20pの面白いマンガになっていたりして、本当に驚いたものだ。
今連載中の「こどものグルメ」の安倍𠮷俊さんも、文章で送っている。
安倍さんとの連載は初めての毎回オールカラーなので、食べ物は気を使う。
でも、登場人物は、必ずキャラクターの絵を何パターンか描いて送ってくれ
例えば、杏のともだちのサキちゃんは、どんなイメージか探ってくる。
そういうところは、今まで組んだことのないタイプで、面白い。
ドラマの「孤独のグルメ」は、マンガの「孤独のグルメ」を原作にして、ドラマスタッフが、全員でそのマンガに出てきそうな、ボクが選びそうな店を探して、脚本家がシナリオを書いている。ボクはそこまでノータッチ。
そしてそのできたシナリオの井の頭五郎のセリフを、ほぼ全部ボクが直している。
だからボクの仕事は、簡単に「原作」というのと違うが、そこまで説明するのが面倒くさいので「原作」と言っているのです。すみません。
でもドラマスタッフ全員が、ボクを「孤独のグルメの原作者」と考えてくれて、一丸となっているので、それでいいのかなあ、と思っている。
このように、ひとくち原作と言っても、場合によってボクのする仕事は違い。
だけど、結局。
マンガの原作というのは「思いつく」という仕事だ。
手を動かし始める前に、「面白いマンガを思いつく」のが仕事だ。
机に向かってうんうん唸ってれば出てきてくれるわけでもなく、寝転がったり、道を歩いてたり、お風呂に入ってる時、ふっと思いついたりする。
まずは、読者より、まず描いてくれる作画家を、笑わせよう、楽しませよう、描く気にならせよう、楽しんで描いてもらえるようにしよう、と考える。
でないと絶対面白いマンガにならない。
そういうわけで、ボクが原作を作っている時は
はたから見たら「ぼんやりしている」としか見えないんだろう。
上に載せた昨日描いた絵のタイトルは「おもしろい結末を思いついた」です。